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BOØWY「BEAT EMOTION」

僕等みたいな団塊ジュニア世代は必ず通っているのが第二次バンドブームという物。
あのそれこそピンからキリまで色んなバンドが出てきたのは、まだ音楽業界、
いや世の中自体にお金が回ってたという事なのかも知れない。

2年の契約更新出来ずに消えていったバンドもいれば
事務所所属アーティストなのに給料が数万円でイメージを保つためにアルバイト禁止など
まるで人という扱いを受けなかった、という話もちらほら聞く。

大人になってからそんな話を色々と聞く度に思い出すのが
あの当時鮮烈にシーンを駆け抜けたこのBOØWYというバンドだ。
1981年に結成してからデビューそして解散が1987年。
たった6年間で一気にメジャーシーンに踊りでた感があったBOØWY。

僕自身はこのバンドの事を知るのがとても遅くてこの「BEAT EMOTION」が最初だった。
1986年11月の発売の5thアルバム。僕は中学3年生だった。
レンタルレコード店に「おすすめ!」と高々と飾られたこのジャケットを手にしたのがそれ。

レコードに針を落とすと聞こえてきたのが「B.Blue」のドラムビート。
そこから駆け上がるギターとベースのフレーズの後に聞こえてきたのが
「・・・・・・なんだこれ、西城秀樹?」というのが正直な第一印象。

この当時、すでにエレキギターを手に入れてバンド少年になりつつあった僕に
「B.Blue」は頑張ったらなんとか弾けるようになるかも知れない、という難易度だった。
それから一生懸命この曲をコピーしたのを覚えている。

コピーに疲れてそのままカセットテープを流していると聞こえてくるアルバムの曲達。
A面の「NOISE LIMITTER」B面の「WORKING MAN」はレコードには収められていなくて
だいぶ後にCDで買い直してから聞いたのだけども、
どの曲も「何とか頑張ったら弾けるかも知れない」という難易度で、
僕をとても魅了したのだ。この「やれば出来る」感は中学3年にはまぶしすぎる。

特に「BEAT SWEET」は8分裏からリフが始まっている事をずっと気づかなくて
後から修正するのにとても苦労したのだよ・・・・

レコーディング自体はたった18日間で終えたこのアルバムは
ある意味この後に続く日本のロックバンドのひな形になった様に思う。
ロックビートに乗る分かりやすいギターフレーズとヒデキなボーカル。
このいわゆる中途半端さが色んな人に受け入れられたのだと僕は思う。
デフ・スクールやコステロなどの影響が見え隠れする(これも大人になってから知ったが)サウンドに
歌謡曲フィールドのヒデキに近いボーカルが乗るとこんなにもマッチする不思議。

僕はこのアルバムの後に次は映像を見た。
最初に出た「BOØWY VIDEO」だ。

この映像で暴れ回る布袋寅泰を見て、目が点になった。
ここまで分かりやすく踊りまくるギタリストを今まで見たことがなかったのである。

そして、アルバムを遡って聴き始め、翌年高校生になった。
その頃には耳コピで「GIGS」が全て弾けるようになっていたし、
「CASE OF BOØWY」の映像を見て布袋氏の足元を何度も見てはエフェクトの勉強をした。
この時期に布袋氏のサウンドメイクを必死に勉強したおかげで
エフェクトに詳しくなれたのを本当に感謝している。
さもなければディレイの後にディストーションを繋ぐような超アナログギタリストになっていたかも知れぬ。

そしてアルバム「PSYCHOPATH」を出していきなりの解散宣言。
高校2年の春に行われたLAST GIGSも行けなかった僕は結局彼らのライブは未体験のままだ。

この「BEAT EMOTION」を聴いて思い出すのは
最初に買ったわけのわからんメーカーのエレキギター、そして当時持ってたカセットデッキ。
未だにBEAT SWEETの後に流れ出すNOISE LIMITTERには違和感を感じる。
ここはやっぱりDon’t Ask Meじゃないとダメなのだ。

そんな青臭い想い出と共にやっぱりONLY YOUはヒデキに聞こえるんだよな。

「夜のヒットスタジオ」の冒頭でヒデキの次にBOØWYが紹介されるような事があったら
ヒデキが歌うONLY YOUが聞けたかも、なんて事も当時考えていたような。

オートリバースの「カチャ」ってサウンド、そしてドルビーB。
そんなキーワードが出てくるのが僕にとってのこのアルバムなのでした。


Published inCD:80年代

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