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高野悦子「二十歳の原点」

あさま山荘事件から始まった連合赤軍への興味、そして学生運動への興味から
ぶち当たっていたのがこの「二十歳の原点」。
前からずっと読んでみたいな、と思っていたのだけどもようやく読むことが出来ました。

この「二十歳の原点」は著者の高野悦子さんの日記をまとめて出版されたもので
ここに収録された1969年6月22日の日記、詩が書かれた二日後に鉄道自殺している。

学生運動真っ盛りの京都の街で20歳を迎えた著者。
誕生日から半年間、ノートに書き綴られた日記を自殺後に遺族が発見。
1971年にこの「二十歳の原点」は出版されてベストセラーになっている。

1971年と言えば僕が生まれた年でもあるのですが
その頃の空気感を文章を通して知る事が出来るなら、という興味で
この本を読もうと思ったわけです。

あと、娘を持つ父親としてもこの本には興味がありました。

読み進めていくと、なんといいますか。
現代ではこういうブログをたくさん見つける事が出来るな、という印象。
20歳という時代を自分の風景と置き換えてみても、夢と理想の狭間で
どうしようもないジレンマを抱えて過ごす日常、という部分では
今も昔も変わらないんだな、という印象を受けました。

「こうしなきゃならない」という思い込みが過ぎると結果的に自分を追い込む事になるのは
自分も経験してきた事だけになかなか辛いものがありました。

半年間の日記の中で「自殺」という言葉が何度も出てきては
「それは負けである」と何度も否定していますが。
彼女にとって果たしてそれは甘美な響き、誘惑だったのでしょうか。

全て袋小路になってしまった、という時、
風景が全てモノクロームになって「もういいや」っていうあの感覚。
自分もたった一度、そういう時がありました。
ちょうど車を運転している時でしたが、
「このままアクセルを目一杯踏み込んだままにしておけば楽になれるのかなあ」
って事を考えたのをよく覚えています。

そこから帰って来れて、なぜ未だにこうして生きているのかはよく覚えてません。
突発的に訪れたそういう誘惑に彼女はそのまま身を任せてしまったんじゃないのかなと
この本を読み終えた時に思いました。

ノートに吐き出されたこの言葉達がもしブログやSNSの上であれば
共感者が現れてたのかもしれません。

多分、昔も今も「若さ」が抱える事になる物は変わってないのかな、と。

自分がそうだったようにいつか自分の子供達にも訪れる二十歳という時代。

僕はその時、彼らに対してどういう大人でいれるのかな。


Published in小説

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